第14回 ネパールの識字教育における政府とNGOの役割:カブレパランチョーク郡の事例から ―京都大学大学院アジア・アフリカ研究研究科 博士課程 安念 真衣子―
ネパール連邦民主共和国(以下、ネパールとする)は、「開発の実験室」と称されるほどに、国際機関やNGOが活動を展開してきた[Fujikura 2013: 26]。教育分野はそうした活動の中心的な一分野であり、識字教育も例外ではない。1951年の王政復古以降、国家規模の教育制度の整備が段階的に進められてきたが、初等教育が無料化されて農村地域に広まってきたのは、1980年代頃のことである
[1]。こうした初等教育の普及とともに喫緊の課題とされたのが成人識字教育であった。1951年当初1.9%だった識字率を向上させるため、公的には、各国の資金援助と国際機関の支援により、様々なリテラシー・プロジェクトが実施されてきた
[2]。一方、NGOの活動は、1990年の民主化により規制が緩和されたことで拡大した。このように政府とNGOによる識字教育活動は現在に至るまでおこなわれている。そうした政府による活動とNGOの活動による活動は、識字教室が実施される農村地域からみて、どのような役割を担っているのだろうか。本報告は、識字教育活動における公的機関(政府)と私的機関(NGO)との役割の関係性について、筆者の調査地で実施された教室を事例に考察したい。
NGOのプロジェクトによる識字教室
2010年11月、首都カトマンズの近郊農村地域であるカブレパランチョーク郡ナムサ村(村名は仮称)で、あるローカルNGOによる識字教室が実施された。当NGOは、団体結成後、毎年実施村を選出して年間約20教室を開催している。ナムサ村の教室のために、スタッフが8月から足を運び、ミーティングを重ねた上で教室を主催した。教科書やノートの支給のみならず、教師の役割を担う村の人に教師訓練ワークショップをおこなったり、教室に設置するライトや白板などの設備の準備もおこなったりした。学習者として登録されたのは、学校教育を受けていない女性たちであった。毎日、家事を終えた夜19時に女性たちは集まり、休日を除いた週6日、教室は開催された。次第に参加者は減少したものの、翌年の4月までかけて6か月のプログラムが終えられた。
政府のキャンペーンによる識字教室
それから約3年経った2014年2月、ナムサ村では再び識字教室が実施されていた。新たな教科書とノートを手に、同じメンバーの女性たちが夜間に集まっていた。新たな、とはいえ内容は文字の綴り方と簡単な計算という以前と同様の内容である。教室は、次第に参加者が集まらなくなり、数週間後には自然消滅という形で、3か月のカリキュラムを終えることなく終了した。
この識字教室は、ネパール政府教育省によるキャンペーンの一環であった
[3]。教育省の傘下にあるノンフォーマル教育センターは、2012年から、「2015年までに非識字をなくす」ことを目的に、“Literate Nepal Mission”と表するキャンペーンをおこない、全国各地で識字教室を開催してきた。カブレ郡でも、1618教室が開催され、15歳から60歳までの約46,000人が対象となったと発表されている
[4]。
識字教室における役割の違いと課題
このように一農村において、主催団体が入れ替わりながら幾度も識字教室がおこなわれることがある。事例からみるに、政府による識字教育キャンペーンは、全国的に一律に大規模に実施されることから、広域・量的に展開されるのに対して、NGOによるプログラムは、選択されたごく一部の農村を対象として小規模に質的に実施されるという特徴の違いがある。前者では、継続的な指導に限界があるのに対して、後者では、実施できる地域に限りがある点にむずかしさがある。しかし両者は、その活動範囲と持続性の点で相補的である。一方で、両者のあいだには、カリキュラムの進度の課題がある。すなわち、学習者の視点に立てば、主催団体が替わっても、相次いで同様のカリキュラムが繰り返されることになるのである。つまり、「क」(ka)「ख」(kha)「ग」(ga)… と、デーヴァナーガリー文字の綴り方を学習して一通りのカリキュラムが終わると、しばらくして次の団体が再び「क」「ख」「ग」の学習からはじめることになるのである。諸団体間の連携により、学習者にとってカリキュラムの進展性という点でより興味深い識字教育プログラムになるのではないかと考えられる。
教育省による広域的な識字教育キャンペーンが2015年で一段落を迎えようといういま、NGOによる活動が今後どのように展開されていくのか、注目していきたい。
註
[1] 1971年に出された国家教育システム計画(NESP: National Education System Plan)は、国内の学校制度を統合し、近代国家づくりの人的資源開発を目指すものであった。1977年には3年間の初等教育の授業料が無償化されている。81年になると、学校制度が変更されて初等教育が5年間になり、女子児童を含めて無料化された[畠2007: 97]。
[2] 識字教育プログラムの教材づくり、ラジオ放送プログラム、図書館建設、識字教育用教科書『ナヤゴレト』の発行などがおこなわれている[Shrestha 1977]。
[3] キャンペーンは、2000年にセネガルのダカールで採択されたダカール行動枠組みに対するネパール政府の対応としておこなわれた。
[4] 公式発表では登録者が参加したことになっているため、ノンフォーマル教育センターは、2015年9月現在で、92.5%の識字率を達成したと発表している。ただしナムサ村の事例のように、プログラム半ばで終了したり、実際は集まっていなかったという報告もあることから、公式発表の人数が実際に参加した人数とはならないと考えられる。
引用文献
Fujikura, Tatsuro. 2013. Discourses of Awareness. Martin Chautari.
畠博之. 2007. ネパールの被抑圧者集団の教育問題―タライ地方のダリットとエスニック・マイノリティ集団の学習阻害/促進要因をめぐって. 学文社.
Shrestha, Ramesh. 1977. Adult Literacy in Nepal. Institute of Nepal and Asian Studies of Tribhuvan University.