米国の大学院において、MBA、法曹養成を初めとする専門職教育がきわめて充実していることはよく知られている。くわえて、次々と登場する知識や技術などに対応するためにこれら伝統的な分野だけでなくさまざまな方面に専門特化した人材が求められており、専門職は現在も拡大し続けている。とりわけ科学技術のイノベーションが世界的に注目される中で、理系の素養を持った経営人材や、経営の実態や社会のニーズを理解する技術者・企業内研究者が強く求められている。わが国においても技術経営(Management Of Technology, MOT)が専門職大学院の一分野として位置づけられているなど、類似の専門職教育はますます重要となってきている。
このような現状を背景として、近年米国では新たに登場した専門職の養成を学位プログラムとして体系化する動きが見られ、MBAをロールモデルとした専門職教育プログラムが急激に充実してきている。本稿では、その一つとして専門理学修士号(Professional Science Master’s, PSM)と呼ばれる学位を紹介する。 PSMは1997年に開始されたきわめて新しい学位であり、設置から15年余りで全米149大学において319のプログラムが実施されている[1]という、急速な発展を見せている。PSMは上述のようにMBAを参考に作られており、博士課程への準備ではなく、研究職以外への専門的キャリアへの職業訓練として修士課程を位置づけようとする試みであった[2]。 PSMの特徴としては大きく以下の3点が指摘できる。第1に企業等との連携による教育を重視していること。学位取得は論文によるのではなく、代わりに企業でのインターンシップやプロジェクト研究が必要とされる。修了後にインターン先の企業に就職する例も少なくなく、この点も実務との接続を担保していると言えよう。 第2に、専門以外の教育の充実である。PSMの修了単位の過半数はその専門分野に関するものでなければならないが、経営の実態や社会のニーズを把握する必要性から、修了単位の2割はビジネスや法律、コミュニケーション能力などの経営系の単位でなくてはならない。これによって、実現性の高いイノベーションへの投資や研究を行う力を養うのである。 最後の特徴として、公立・私立の区分や専門分野の違いを超えて共通したプログラムが展開されていることが挙げられよう。PSMプログラムに参加している大学は圧倒的に公立が多いが、それでも28の私立大学において55プログラムが実施されており、その中にはスタンフォード大学など有名大学も含まれている。また、PSMにおける個々のプログラムの具体的な専門分野は多岐にわたり、各大学とその大学が所在する地域のニーズに応じた形で特色あるプログラムが提供されている(表1)。しかし、全体としてPSMという共通の学位を付与しそのブランドを高めることによって、より社会の認知度を高め大学の生存戦略として機能しているのである。プログラムの管理についても大学院協議会(Council of Graduate Schools, CGS)[3]が中心となっており、複数の大学間の連携によって推進されてきた。表1:PSMの分野別コース数
分野 |
コース数 |
全体に占める割合(%) |
バイオテクノロジー |
41 |
13.0 |
バイオインフォマティクス・ コンピューター生物学 |
15 |
4.7 |
薬学・薬理学 |
8 |
2.5 |
その他の生物科学 |
33 |
10.4 |
化学 |
14 |
4.4 |
コンピューター・ 情報科学 |
27 |
8.5 |
地理情報システム・ 遠隔探査(リモートセンシング) |
11 |
3.5 |
農学・自然資源管理 |
14 |
4.4 |
環境科学・気象科学 |
45 |
14.2 |
地球・大気・海洋科学 |
13 |
4.1 |
エネルギー・動力 |
6 |
1.8 |
法科学 |
6 |
1.8 |
統計学・生物統計学 |
11 |
3.5 |
金融数学 |
9 |
2.8 |
生物数学 |
1 |
0.3 |
産業数学 |
5 |
1.6 |
その他数学 |
4 |
1.3 |
医療関連科学 |
25 |
7.9 |
国防 |
2 |
0.6 |
物理学・応用物理学 |
8 |
2.5 |
ナノサイエンス |
6 |
1.8 |
その他の学際的な科学 |
12 |
3.8 |
出展:PSMのホームページのデータを元に筆者が作成・加筆
わが国において専門職大学院制度が導入されて10年が経つが、法曹養成や教員養成以外は共通した学位プログラムとして体系化されているとは言い難いのが実情である。その一方で、近年では大学間の連携によって共通の教育プログラムを展開する事例も、専門職教育に限らず見られるようになってきている。例として、文部科学省の「大学間連携共同教育推進事業」に採択された取組の多くは国公立大学・私立大学が連携しており、共通の資格制度の開発など内容もPSMに類似している。このように、わが国でも米国の専門職教育の流れと同様に、公立・私立の枠を超えた連携によって各大学の教育資源を効果的に活用し、社会の要求に応える教育を提供していくことが今後ますます必要になっていくと考えられる。
[1] 2014年7月現在、PSM公式ウェブサイト(http://www.sciencemasters.com)より。ただし、オーストラリアの2大学、イギリス、韓国の各1大学を含む。
[2] 高見茂、柴恭史「研究型大学における理系実務型人材育成の課題と実践の試み―米国の専門理学修士号PSMに注目して―」『京都大学大学院教育学研究科紀要』第59号、2013年、56頁。
[3] 米国の大学院の多くが加盟している協議会であり、会員大学だけで全米の修士号取得者の85%を輩出している。