※以降、法律名については以下の略称を用いる。 地方教育行政の組織及び運営に関する法律…地教行法 教科書の発行に関する臨時措置法…発行法 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する臨時措置法…無償措置法
まず、教科書の採択権限は誰が持っているのでしょうか。 教科書を採択する権限は、公立学校で使用する教科書については当該学校を設置する市町村または都道府県の教育委員会にあり、国立・私立学校については当該学校の学校長にあるとされています(地教行法第23条第6号、発行法第7条第1項)(※1)(※2)。つまり、義務教育段階における公立学校の教科書採択については市町村教育委員会にその権限があるといえます。しかし、採択は権限を有する者の自由にまかされているものではなく(※3)、その方法は無償措置法に規定されています。※1 平原春好『教育行政学』東京大学出版会、1993年、196頁。
※2 地教行法第23条 教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。 6.教科書その他の教材の取扱いに関すること。
※3 平原春好、前掲書、196頁。
先程、教科書を採択する権限は市町村教育委員会にあると書きましたが、実際の教科書採択の手続きでは、単独の市町村が独自に教科書を採択する場合よりも、いくつかの市町村が共同して同一の教科書を採択する「共同採択」(※4)が多く行われています。この同一の教科書を採択する地区のことを「採択地区」といいますが、この採択地区の大きさは、無償措置法の規定(※5)により都道府県教育委員会が設定します。そして、共同採択を行う場合、同一採択地区内の市町村は、採択地区協議会といったものを設けて協議をし、同一の教科書を採択しなければなりません(※6)。具体的には、義務教育における教科書は以下のような流れで採択が為されます。↓
②届出をもとに文部科学省が教科書目録を作成。目録を都道府県教委を通じ市町村教委等に送付。(発行法第6条第1項、第2項)↓
③発行者が教科書の見本を都道府県教育委員会や市町村教育委員会等に送付。(発行法第6条第3項)↓
④都道府県教育委員会が教科書について調査・研究するため教科用図書選定審議会を設置。(無償措置法第11条)↓
⑤教科用図書選定審議会の調査結果をもとに都道府県教育委員会が選定資料を作成。この資料を採択権者に送付することで助言を行う。(無償措置法第10条、第11条)↓
⑥都道府県教育院会が一定期間教科書展示会を行う。(発行法第5条)↓
⑦採択地区で協議を行い同一の教科書を採択する。(無償措置法第13条)↓
⑧市町村教育委員会は、採択した教科書の需要数を都道府県教育委員会に報告。(発行法第7条第1項)↓
⑨都道府県教育委員会は、都道府県内の教科書の需要数を9月16日までに文部科学大臣に報告。(発行法第7条第2項、発行法施行規則第14条)↓
⑩文部科学大臣が発行者に発行すべき教科書の種類・部数を指示。(発行法第8条)※文部科学省「教科書採択の方法」 (参考URL:http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/04060901/006.htm 最終アクセス:2012/05/06)より引用。
※4 「広域採択」とも呼ばれる。
※5 無償措置法第12条第1項 都道府県の教育委員会は、当該都道府県の区域について、市若しくは郡の区域又はこれらの区域をあわせた地域に、教科用図書採択地区(以下この章において「採択地区」という。)を設定しなければならない。
※6 無償措置法第13条第4項
第1項の場合において、採択地区が二以上の市町村の区域をあわせた地域であるときは、当該採択地区内の市町村立の小学校及び中学校において使用する教科用図書については、当該採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない。
以上が、教科書採択制度の概要です。それでは、八重山採択地区ではこの制度の中のどの部分で問題が生じたのでしょうか。この問題が起きた背景には、歴史認識の問題、協議会の規約改正手続きの問題など様々な要因が考えられますが、ここでは教科書採択の制度的な問題に限定して取り扱いたいと思います。 八重山採択地区で起きた一連の出来事については文末の表に時系列的にまとめました。これを踏まえて、今回の問題をまとめると「市町村教育委員会が、無償措置法第13条第4項に定める協議の結果と違う教科書を採択した場合どうなるのか」ということになります。 さらに、この問題には①地教行法に定められた市町村教育委員会の採択権限と、無償措置法に定められた採択の手続きはどちらが優先するのか。
②今回の八重山採択地区で行われた「無償措置法第13条第4項に定める協議の結果」とは何にあたるのか?
③「無償措置法第13条第4項に定める協議の結果」とは違う教科書を採択した場合、教科書の費用は誰が負担するのか?
という論点があると考えられます。 まず、「①地教行法に定められた市町村教育委員会の採択権限と、無償措置法に定められた採択の手続きはどちらが優先するのか」についてですが、この件に関して政府は国会答弁において「無償措置法第13条4項は……地教行法第23条第6号が規定する教科用図書の採択の権限の行使について特別の定めをしている」との見解を示しています。これはつまり、教科書採択に関して無償措置法は地教行法の特別法となるので、特別法優先の原則によって無償措置法が優先するということを意味します。 次に、「②今回の八重山採択地区で行われた『無償措置法第13条第4項に定める協議の結果』とは何にあたるのか?」ということですが、これについては沖縄県教育委員会と文部科学省とで見解が違っており、今回の問題の大半はこの点を巡っての議論であったと言えます。 沖縄県教育委員会は、9月8日に3市町の教育委員全員(13名)で行った「全員協議」が「無償措置法第13条第4項に定める協議の結果」であると主張しています。一方で文部科学省は、石垣市教育長と与那国町教育長から文部科学省宛に、石垣市教育委員会及び与那国町教育委員会は「全員協議」において教科用図書の採択に関する協議を行うことについて合意していないとする文書が送られてきたことから、「全員協議」は「無償措置法第13条第4項に定める協議の結果」に当たらないとする見解を示しています。さらに、文部科学省は、八重山採択地区協議会の規約にもとづき行われた8月23日の協議および8月31日の役員会が「無償措置法第13条第4項に定める協議の結果」に当たるとしています。これについては、「全員協議」は八重山採択地区協議会規約に記載されていない協議であること、石垣市教育長および与那国町教育長から「全員協議」に対して合意していないとする旨の文書が出されていること、那覇地裁の決定で「全員協議」は「外部的行為」であって教委の採択権限を制限しないとされたことを考えると、文部科学省の見解の方が有力といえるのではないでしょうか。 「③『無償措置法第13条第4項に定める協議の結果』とは違う教科書を採択した場合、教科書の費用は誰が負担するのか?」という点については、文部科学大臣が衆議院文部科学委員会において「協議会の答申に基づく採択を行っていない竹富町教委は、国の無償供与の対象にならない」「地方公共団体自らが教科書を購入して生徒に無償で供与することまで法令上禁止されるものではないという解釈が法制局からも出てきた」と答弁をし、協議の結果とは違う教科書を採択した教育委員会が教科書費用について責任を持つとの見解を示しております。沖縄県教育委員会は、これについて憲法26条の趣旨に反するとの見解を示していますが、憲法に定める義務教育の無償については、一般に「授業料不徴収」の意味であると解されており(最大判昭和39・2・26民集18巻2号343頁)(※7)、この主張だけでは文部科学省の見解への反論としては乏しいと思われます。※7 芦部信喜『憲法』岩波書店、2002年、250頁。
以上のことを踏まえると、「市町村教育委員会が、無償措置法第13条第4項に定める協議の結果と違う教科書を採択した場合どうなるか」ということへの回答としては、現在の制度上「無償措置法の対象から外れ、当該教育委員会が教科書費用について責任を持ち、児童生徒に教科書を無償で給付する」ということになります。 教科書採択について教科書需要数の報告期限を過ぎるまで揉めたケースは今回が初めてですが、一時的に協議の結果と違う教科書を採択したケースは、2001年の栃木県の下都賀採択地区や、2005年の茨木県の第3採択地区といった前例があり、教科書採択に関しての制度的な問題は以前から指摘されていました。文部科学省も2002年に「教科書制度の改善について」の中で、「採択手続を明確にしておく取組を進めるよう市町村教育委員会に対する指導に努めること」と都道府県教育委員会宛てに通知を行なっています。 今後このような問題が起こらないためにも、各採択地区協議会の規約の見直し等、教科書採択制度について再整備を行なっていく必要があるといえるでしょう。6月27日 | 八重山採択地区協議会の会長でもある石垣市教育長の提案により、八重山採択地区協議会規約の改定が行われる |
規約の改正や手続き等に課題があり、八重山採択地区協議会において混乱が生じていると県教委は認識。 | |
8月3日 | 県教委、八重山採択地区協議会へ調査。採択地区協議会の適正かつ公正な運営について要請。 |
8月10日 | 県教委、八重山採択地区協議会へ、規約の手続きを遵守し、地域住民に疑念を抱かせないよう指導・助言。 八重山採択地区協議会において、規約の再改正についての提案が否決。 |
8月23日 | 八重山採択地区協議会、規約にもとづきA社の教科書を採択する旨の「答申」を三市町教委へ。 |
8月26日 | 石垣市教委、多数決によりA社の教科書を採択(賛成3、反対2)。 与那国町教委、全会一致でA社の教科書を採択。 |
8月27日 | 竹富町教委、全会一致でB社の教科書を採択。 |
8月29日 | 三市町教委、採択結果を県教委に報告。 |
8月30日 | 県教委、八重山採択地区協議会及び三市町教育委員会へ通知文書を送付。 「採択地区協議会は、再度の合意形成を行い、期限までに、同一の教科書を採択し県教育委員会に報告する」 |
8月31日 | 八重山採択地区協議会、規約にもとづき役員会を行い竹富町教育委員会に対し答申通りに採択するよう求める。 |
9月2日 | 竹富町教育委員会、臨時教育委員会を行いB社を採択した27日の決定を再確認。 |
9月8日 | 三市町の全教育委員(13人)を集め、「三市町教育委員による全員協議」を実施。
採択の採決方法について多数決で行うことに決定→石垣市教育長、与那国町教育長退席→空転80分→石垣市教育長は戻り着席。
協議の結果B社の教科書を採択。
※朝日新聞の記事によると、A社不採択について
石垣市 …賛成2人、反対2人 竹富町 …賛成4人、反対0人 与那国町…賛成1人、反対1人 |
同日 | 与那国町教育長、文相宛「八重山地区教科書採択に関する三市町教育委員協会の協議の無効について」 |
9月9日 | 石垣市教育長、文相宛「八重山地区教科書採択に関する三地区教育委員会協議の無効について」 |
9月13日 | 文相、上記2つの文書を踏まえ「三市町教育委員による全員協議」は無償措置法第13条第4項の協議に当たらないと考え「協議は整っていないと考えざるを得ない」と発言。 |
9月15日 | 文科省、県教委に対し、八重山採択地区協議会の規約に従った結果に基づき、採択地区内で同一の教科書を関係市町、各関係市町教委が採択するよう指導。 |
9月16日 | 県教委、文科省への教科書需要数の報告期限(9月16日)までに教科書を一本化できず、報告を見送った旨を発表。 |
10月19日 | 県教委、「三市町教育委員による全員協議」は有効であると考える旨の意見書を文科省に提出。 |
10月26日 | 衆議院文部科学委員会にて、文相「協議会の答申に基づく採択を行っていない竹富町教委は、国の無償供与の対象にならない」「地方公共団体自らが教科書を購入して生徒に無償で供与することまで法令上禁止されるものではないという解釈が法制局からも出てきた。これに従って淡々とやっていきたい」と答弁。 |
10月31日 | 県教委と文科省との協議。文科省は県教委に、同地区内共通の教科書採択を竹富町が拒み続けた場合は国の教科書無償制度の対象外とし、町費で教科書を購入させるとの方針を説明。また、11月末までに3市町の調整を行い報告するよう指導。 |
11月9日 | 石垣市内に住む小学生の保護者2人が、市教委を相手取り東京書籍版を来春以降、無償で受け取れることの確認を求める訴えを那覇地裁に起こす。 |
11月28日 | 県教育長と3市町教育長の意見交換。 |
11月30日 | 県教委、文科省へ現時点で教科書の一本化はできていないと報告。 |
12月2日 | 文科省、県教委へ12月末までに対応を報告するよう求める。 |
12月9日 | 竹富町教委から文科省へ、B社教科書を採択した場合に無償とならない理由を問う「質問書」を送付。 |
12月16日 | 文科省から竹富町へ「回答」。 |
12月26日 | 竹富町教委から文科省へ「再質問書」を送付。 |
12月28日 | 県教委から文科省へ「採択状況と竹富町教育委員会の方針」を報告。 |
同日 | 文科省から竹富町教委へ、竹富町教委に国が教科書を無償給付することはできず、竹富町教委が適切に対応する必要があるとする「回答」。 |
1月26日 | 竹富町教委、B社教科書の発注準備に入ることを決定。 |
2月3日 | 文科省「竹富町教委が、住民等から寄贈された教科用図書を生徒に給付することについては、生徒や保護者の負担がなければ方法は問わない。」「県からの公民教科用図書の需要数報告が行われなくても、答申に従った市町に対して教科用図書を給付する。」 |
2月22日 | 竹富町教委、B社教科書の使用を最終決定。22冊(約16,000円)を発注し、費用は町民有志の寄付で賄う案をまとめる。 |
3月30日 | 那覇地裁、東京書籍版教科書の無償給付の地位確認を求めた仮処分申し立てを却下。 裁判長は「教科書の採択権限は市町村教育委員会にある」としたうえで、9月8日の「全員協議」を「多数決でなされたにすぎない」とし、教委の採択権限は「全員協議」という「外部的行為」で制約されないと指摘。 |
※以下の参考文献をもとに作成。
・朝日新聞「「つくる会」系公民教科書、沖縄2市町が正式採択 議論紛糾も」西部朝刊、2011年8月27日、34頁。
・朝日新聞「「つくる会」系、一転不採択 沖縄3市町教育委員、臨時総会で」西部朝刊、2011年9月9日、34頁。
・朝日新聞「教科書採択、親が提訴 「東京書籍版配布を」 沖縄・石垣」西部夕刊、2011年11月9日、1頁。
・読売新聞「協議会選定の中学教科書 竹富町教委が不採択 沖縄」西部夕刊、2011年8月27日、10頁。
・読売新聞「八重山地区 教科書一本化できず 県教委 期限内の報告見送り」西部朝刊、2011年9月17日、34頁。
・読売新聞「教科書「竹富町が購入」案 沖縄・八重山地区 文科相、収拾図る」東京夕刊、2011年10月26日、10頁。
・読売新聞「八重山の教科書 文科省「月内に調整を」 県教委は反発」西部朝刊、2011年11月1日、34頁。
・読売新聞「東京書籍版の発注を準備へ 竹富町教委」西部朝刊、2012年1月27日、29頁。
・読売新聞「竹富町 独自教科書を決定 無償対象外 有志が費用負担」西部朝刊、2012年2月23日、1頁。
・沖縄タイムス「八重山教科書:地裁、全教委協議認めず」2012年3月31日 (参考URL:http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-31_31787/ 最終アクセス:2011/05/06)。
・沖縄県教育庁義務教育課「教科用図書八重山採択地区協議会の状況について」2011年8月31日 (参考URL:http://www-edu.pref.okinawa.jp/iinkai/giketsu/h23/14/report01.pdf 最終アクセス:2011/05/06)。
・沖縄県教育委員会「平成23年第15回県教育委員会会議教育長報告」2011年9月21日 (参考URL:http://www-edu.pref.okinawa.jp/iinkai/giketsu/h23/15/report01.pdf 最終アクセス:2011/05/06)。
・沖縄県教育委員会「平成24年第5回県教育委員会会議教育長報告」2012年3月28日 (参考URL:http://www-edu.pref.okinawa.jp/iinkai/giketsu/h24/05/report02.pdf 最終アクセス:2011/05/06)。
・照屋寛徳「沖縄県「八重山採択地区」における教科書選定に関する質問主意書」第178回国会、衆議院、質問第27号、2011年9月14日 (参考URL:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a178027.htm 最終アクセス:2011/05/06)。
・野田佳彦「衆議院議員照屋寛徳君提出沖縄県「八重山採択地区」における教科書選定に関する質問に対する答弁書」第178回国会、衆議院、答弁第27号、2011年9月27日 (参考URL:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b178027.htm 最終アクセス:2011/05/06)。
・赤嶺政賢「沖縄県八重山採択地区における教科書採択に関する質問主意書」第178回国会、衆議院、質問第40号、2011年9月26日 (参考URL:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a178040.htm 最終アクセス:2011/05/06)。
・野田佳彦「衆議院議員赤嶺政賢君提出沖縄県八重山採択地区における教科書採択に関する質問に対する答弁書」第178回国会、衆議院、答弁第40号、2011年10月4日 (参考URL:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b178040.htm 最終アクセス:2011/05/06)。
・照屋寛徳「沖縄県「八重山採択地区」における教科書選定に関する再質問主意書」第178回国会、衆議院、質問第53号、2011年9月28日 (参考URL:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a178053.htm 最終アクセス:2011/05/06)。
・野田佳彦「衆議院議員照屋寛徳君提出沖縄県「八重山採択地区」における教科書選定に関する再質問に対する答弁書」第178回国会、衆議院、答弁第53号、2011年10月7日 (参考URL:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b178053.htm 最終アクセス:2011/05/06)。
・文部科学省「森ゆうこ文部科学副大臣記者会見録」2011年9月15日 参考URL:http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1309361.htm 最終アクセス:2011/05/06)。